日本の現代音楽の基礎を作ったのは雅楽の人だった⁉︎
学校の音楽の授業、卒業式の歌、J-pop。その全ての"源流"に、意外すぎる人たちがいた。
「雅楽と、今私たちが聴いている音楽に何の関係があるの?」
そう思った方も、読み終わるころには「へぇ、あれも雅楽の影響だったんだ!」と納得してもらえるはず。なぜなら、いま日本人が当たり前のように心地いいと感じる「音楽のセンス」の多くは、明治時代に雅楽のプロたちが西洋音楽と一生懸命に向き合いながら、手探りで作ってくれたから。そんなお話を今回はお届けします。
明治政府は音楽で悩んでいたんです
時は1870年代。明治維新を迎えたばかりの日本は、国をあげて大急ぎでアップデート(近代化)を進めていました。服も、鉄道も、軍隊も、みんな西洋のスタイルに変わっていく中、政府は変わった問題に頭を悩ませていました。
「学校で、子どもたちに一体何を歌わせたらいいんだろう?」
今聞くとちょっとクスッとしてしまいますが、当時の政府にとっては大真面目な政策課題でした。国を一つにまとめるためには、みんなが口ずさめる「共通の歌」が必要だと考えたのです。そこで1879年(明治12年)、文部省の中に「音楽取調掛(おんがくとりしらべがかり)」という、音楽の専門チームが作られました。
彼らのミッションは「日本の新しい国民音楽を作ること」。西洋の音楽をヒントにしながらも日本オリジナルの音楽文化をゼロから立ち上げるという、前代未聞の大プロジェクトでした。
「西洋の音楽をそのまま輸入した」わけじゃないんだよ
よく歴史の教科書では「音楽取調掛が西洋音楽を日本に広めた」と書かれています。確かにそうなのですが、実はそれはストーリーの半分にすぎません。
本当に大活躍したのは、宮内省で雅楽を演奏していた「伶人(れいじん)」と呼ばれる音楽家たちでありました。彼らは天皇家にお仕えし、千年以上も続く伝統音楽を守ってきた、いわば日本最高峰の音楽エリート集団です。
「明治時代になって、日本の伝統音楽は西洋音楽に押し出されて消えちゃった」と思われがちですが、実際は逆。雅楽のプロたちが西洋の音楽を一生懸命に勉強し、分析して、「日本の良さ」とうまくミックスさせていったのです。
「蛍の光」がスコットランドの曲な理由
ここで、ちょっと身近な例をひとつ。 この音楽チームが作った一番の実績が、日本で最初の音楽の教科書(『小学唱歌集』)です。中身を見てみると、おもしろい事実が分かります。
「蛍の光」 = スコットランドの民謡
「ちょうちょう」 = ドイツの民謡
「埴生の宿(はにゅうのやど)」 = イギリスの民謡
実は、ほとんどが外国の曲に日本語の歌詞をあてはめたものだったんです。
「それって手抜きじゃない?」と思うかもしれませんが、これこそが日本文化の得意ワザ。良いものをどんどん取り入れて、自分たちらしくアレンジしてしまうチカラです。そもそも雅楽自体、大昔に中国や朝鮮半島から伝わった音楽を、千年もかけて「日本流」に育ててきたものでした。明治の音楽チームは、まさにその伝来のテクニックをもう一度使ったわけです。
いまも息づく「雅楽っぽい」あじわい
では、雅楽の人たちが残してくれた「日本人の音楽センス」って、具体的にどんなところにあるのでしょうか?
たとえば、音と音の間にある「絶妙な間(ま)」の取り方。音をぎゅうぎゅうに詰め込まず、余白を楽しもうとする感覚です。また、キレイなメロディラインだけでなく、「楽器の音色そのもの」や「スーッと息を吸う気配」を大切にするのも、雅楽から受け継がれた日本の音楽の特徴と言えるでしょう。
「J-POPって、海外の曲にはない繊細な雰囲気があるな」と感じる理由のひとつは、実は千年以上前の宮廷音楽にあるのかもしれません。
世界的に有名な作曲家の武満徹(たけみつ とおる)が海外で高く評価されたのも、「西洋のスタイルを使いながらも、どこか独特な間や美しい響きがある」という点でした。その感性のルーツをたどっていくと、明治時代に雅楽の人たちが挑戦した音楽のremixにたどり着くのです。
そして、現在の東京藝術大学へ
音楽取調掛は、その後日本の音楽教育の柱へと成長していきました。
1879年:音楽取調掛が誕生。雅楽のプロと西洋音楽のプロが初めて力を合わせる。
1887年:名前を変えて「東京音楽学校」に。日本初の本格的な音楽の学校になる。
1949年:今の「東京藝術大学 音楽学部」へ。今日も日本のクラシック音楽界をリードし続けています。
日本のクラシック教育も、学校の音楽の先生を育てる仕組みも、すべてのスタートはこの音楽取調掛でした。そして、その中心にはいつも雅楽の人たちがいたのです。また意外と知られていませんが、現代も宮内庁式部職楽部の人たちは雅楽だけでなく、宮中晩餐会などではオーケストラも演奏されているんですよ。
「雅楽なんて、自分には遠い世界の話」と思っていた方も、少し身近に感じていただけたでしょうか?
卒業式で歌った「蛍の光」、毎日耳にする最新の音楽、たくさんの楽曲の中から「いい曲だな」と時折しみじみ感じるあの感覚。それらはすべて、明治時代に雅楽の人たちが西洋音楽と格闘しながら、一生懸命にバトンを繋いでくれたものだったのです。
雅楽は決して過去の音楽ではありません。知らず知らずのうちに私たちの耳の中で、心地よく響き続けていると言えるでしょう。
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おもろー🐢
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