50歳になって気づいた「力を抜いたほうが音は出る」
ゴリラ篳篥からの脱却、「鼻息でも鳴る」の意味がようやく分かった
頑張れば頑張るほど、うまくいく。
昔の私は、そう信じていました。
篳篥もそうですし、仕事もそうです。
とにかく全力。
息を目一杯吹き込んで、力を込めて、誰よりも大きな音を出そうとしていました。
でも、不思議なものです。
力を入れれば入れるほど、音は苦しくなります。
息は続かない。
身体は固まる。
演奏が終わる頃には、もうヘトヘトです。
雅楽をされる方なら分かると思いますが、篳篥は初手から心を折られる楽器です。
盧舌(ろぜつ)というリードを差し込んで吹くのですが、買ったばかりの盧舌はほとんど鳴りません。
先生に削っていただいて、ようやく音が出ます。
そして先生の演奏を聴く。
重厚で、伸びやかで、それでいてどこか軽やか。
「こんな音を出したい。」
そう思って、私はひたすら力で押しました。
おりゃー!という感じです。
音は出ます。
でも、3拍も吹けば息が切れます。
30歳くらいまで、私はそんな「ゴリラ篳篥」で吹いていました。
ところが、ある女性の篳篥奏者の演奏を聴いて、考えがひっくり返りました。
その方は、決して大音量ではありません。
でも、ものすごく上手い。
音に無駄がなく、自然に伸びていくのです。
「力ではないのかもしれない。」
そう思ってから、私は力を抜くことばかり考えて練習するようになりました。
すると不思議なことに、30分を超えるような長い曲でも、最後まで吹けるようになりました。
ただ、今度は迫力が足りない。
結局、そこからまた10年以上かかりました。
そして今年になって、ようやく少しだけ分かった気がしています。
楽器を支配しようとしていた頃は、うまくいかなかった。
そうではなく、
「あなたは、どう吹けば一番きれいに鳴ってくれますか?」
そんな気持ちで向き合うようになってから、音が変わり始めました。
大きく息を入れなくてもいい。
必要以上に力まなくてもいい。
そういえば学生の頃お世話になったお寺の住職さんが
「鼻息でも鳴る」とおっしゃっていました。
今になってその通りだなと思いますし、
昔から憧れていた音色に、ようやく近づいてきた気がします。
先日、ハム活さんの記事を読んで、まさに同じことだと思いました。
力を加える場所を間違えない。
頑張らないのではなく、余計な力を抜く。
それだけで、同じ楽器なのに、まるで別物のように鳴ってくれるのです。
そう考えると、副業も同じなのかもしれません。
私は今も、副業では売上ゼロです。
正直、焦ります。
でも、無理に売ろうと力むより、
「今の自分に、何ができるだろう。」
「誰の役に立てるだろう。」
そんなことを考えながら発信を続けたほうが、きっと遠回りのようで近道なのでしょう。
子どもの頃から言われていた言葉があります。
「続いてこそ道」
50歳になって、ようやくその意味が少しだけ分かってきました。
みなさんにも、
「頑張るのをやめたら、逆にうまくいった。」
そんな経験がありませんか?
ぜひコメントや返信で教えてください。




いまちゅーさん
初めまして!フォローありがとうございます。
笙、心地いい音ですよね!
私はハモンドオルガンの小さいのを持ってるのですが、笙のような和音が出せるのがお気に入りです。
読んでいただいたうえに参考にしてもらったなんて
大変ありがとうございます
楽器の扱いの難しさと真摯に取り組む姿勢が印象に残りました