究極の進化系⁉︎ 雅楽組曲「秋庭歌一具」
天才作曲家:武満徹が雅楽に仕掛けた、前代未聞の音響革命
まず、これを知ってほしい。
雅楽は1200年以上前から「今も進化する」のだ。
世界で最も「古い」音楽が、世界で最も「新しい」体験をさせてくれる、としたら?
「雅楽」は奈良時代から平安時代にかけて、シルクロードを通って中国や朝鮮から伝わった音楽と舞が、日本の宮廷で育まれ、形を変えながら今日まで途切れることなく演奏されてきた。世界でも類を見ない、現役で演奏されている最古の音楽ジャンルのひとつです。
しかも、ただ「保存されている」だけじゃない。現在ではコンサートホールで様々な演奏会が企画され、時には現代の作曲家たちが新曲を書き、世界のトップアーティストとコラボレーションしています。1200年以上もの間、一度も途切れることなく「現役」であり続けた音楽——それが雅楽です。
四方向から音が降ってくる。
天才作曲家が仕掛けた「音のトラップ」
ここで、ひとつの曲の話をさせてください。
日本が世界に誇る作曲家・武満徹(たけみつとおる)が作った、『秋庭歌一具(しゅうていがいちぐ)』という雅楽の曲があります。
武満徹といえば、映画音楽から現代音楽まで幅広く手がけた、20世紀を代表する作曲家。黒澤明監督の映画音楽でも知られています。その武満が、雅楽の楽器を使って作った大作がこの曲です。
演奏時間は50分超。使う演奏者は29人。
「参音声」「吹渡」「塩梅」「秋庭歌」「吹渡二段」「退出音声」の6曲で構成される組曲。
ここまで読んで「すごい大曲だな」という感想で終わるかもしれません。
でも、それだけではない。この曲には「仕掛け」があるんです。
普通のコンサートって、演奏者は全員ステージに並びますよね。でもこの曲では、29人の演奏者が会場内の4か所にバラバラに配置されるんです。ステージ中央だけでなく、ステージ後方や、なんと客席の中にまで演奏者が散らばります。
グループA 「秋庭」 舞台中央 9名
高麗笛1、龍笛1、篳篥1、笙1、鉦鼓1、鞨鼓(木鉦)1、太鼓1、箏1、琵琶1
グループA’ 「木魂群1」 舞台後方 8名
龍笛2、篳篥2、笙4
グループB 「木魂群2」 客席左 6名
篳篥2、龍笛1、笙2、鞨鼓(木鉦)1
グループC 「木魂群3」客席右 6名
篳篥2、龍笛1、笙2、鞨鼓(木鉦)1
曲が始まると、前からも、後ろからも、右からも、左からも、雅楽器の音が立体的に交差しながら響いてくる。
これ、最新映画館の4Dサラウンドシステムと、やっていることはほぼ同じようなもの。武満氏がこれを設計したのは1973年。機材ゼロ。生楽器と演奏者の配置だけで、完璧な立体音響を作り上げたのです。
目を閉じてこの音の中に立ってみてください。紅葉した葉がハラハラと四方から舞い散る、晩秋の庭のど真ん中に立っているような感覚。武満徹はその体験を、雅楽という1200年前の器で作り上げました。
「ヤバい音楽が来た!」——1200年前の人と、あなたは同じ興奮をしていい
武満徹は、この曲を作るにあたってこんなことを言っています。
「私たちの遠い祖先が先進文明にはじめて触れた愕き(おどろき)を、私自身のものとして失わないようにすること」
平安時代、シルクロードを渡って見たこともない楽器と音楽が日本にやってきたとき、当時の人たちはどんな顔をしたでしょう。「なんだこれは」「こんな音が世界に存在するのか」と、腰を抜かすほど驚いたはずです。
武満氏はその感覚を現代に蘇らせたかった。つまり、雅楽を「古い伝統芸能として尊重する」のではなく、「いまこの瞬間、初めて出会う衝撃的な音楽として体験する」ことを求めたのです。
雅楽の楽器の音って、独特の響きがあります。笙(しょう)という楽器が出す、複数の音が同時に鳴り続けるあの和音。篳篥(ひちりき)の独特な鋭い旋律。龍笛(りゅうてき)の、空気を切り裂くような音色。武満氏は、雅楽器の古典的な奏法も大切にしつつ、今までにない新たな「雅楽」を創造したのでした。
「古いもの」として距離を置いて聴くのか、「未知のサウンドとの衝撃的な出会い」として受け取るのか——武満氏は「秋庭歌一具」という曲で一つの答えを出したのです。
一人の楽師の人生を変えた「秋庭歌一具」
『秋庭歌一具』は、ある楽師の運命を大きく変えました。
800年以上続く雅楽の家系に生まれ、宮内庁の楽師となった芝祐靖(しば すけやす)。龍笛奏者として『秋庭歌』の初演に携わった彼は、その音楽に強烈な衝撃を受けます。それまでの雅楽とは明らかに違う——無表情に淡々と演奏するのではない、もっと自由で深い音楽の在り方がここにある、と。
その衝撃は彼を動かし続けました。
1984年、49歳のとき、芝氏は宮内庁楽部を退官します。安定した地位を捨ててまで追いかけたのは、「『秋庭歌』をもっと良い演奏で届けたい」という一念でした。翌1985年、笙奏者の宮田まゆみ、篳篥奏者の八百谷啓らとともに民間の雅楽アンサンブル「伶楽舎(れいがくしゃ)」を設立。
伶楽舎が実際に『秋庭歌一具』を演奏するまでには、さらに約10年の歳月を要しましたが、その後の活躍は目覚ましく、八ヶ岳高原音楽祭、明治神宮、ニューヨークのリンカーンセンターやタングルウッド音楽祭など、国内外で数多くの演奏を重ねていきます。
2001年にサントリーホールで行った演奏会は中島健蔵音楽賞特別賞を受賞。CDは翌年の文化庁芸術祭レコード部門優秀賞に輝きました。2016年の演奏会はサントリー芸術財団の佐治敬三賞を受賞しています。
一曲の音楽が、一人の人間の人生を根こそぎ変えた。この曲はそれほどの力を持っていたのでした。
あなたも人生を変えませんか?
「秋庭歌」のおはなし、いかかがでしたでしょうか? 古くて新しい雅楽、なんとなく「選ばれた人だけがやるもの」というイメージがありません? 宮内庁の楽師とか、神社の家系に生まれた人とか。
実は全然そうじゃないんです。
雅楽のサークルや教室が全国各地にあり、大人から始めた人が普通に演奏しています。ピアノや書道を習うような感覚で始められます。この記事を執筆する私も実話個人レッスンをやっていたりします。音楽経験がなくても大丈夫。雅楽独自の楽譜の読み方も一から一緒に覚えていけます。
むしろ、「楽器をやったことがある人」より、「何か特別なものを求めている人」に向いているかもしれない。
なぜなら、雅楽器の音を出した瞬間に、今まで体験したことのない感動が味わえるから。
笙に息を入れると、和音がふわっと広がり、篳篥を吹くと、自分の音が周りの空気と混ざり合い、龍笛を吹けば、その場の空気を切り裂いていく。その音が1200年以上前から途切れることなく受け継がれてきたと思うと——なんとも言えない感覚になります。
「音楽をやっている」というより、「何か大きなものの流れに、自分も触れた」という感じ、とでも言えばいいでしょうか。
平安時代の人たちは、シルクロードを渡ってきた見知らぬ音楽に圧倒されながら、それを受け取り、育て、後世に伝えてきました。
その連鎖が1200年以上続き、今ここにあります。
武満徹は雅楽に「現代の驚き」を込めました。そしてあなたが雅楽を聴いたり、触れたり、始めたりすることもまた——その1200年の連鎖に、新しい一節を加えることになるのです。
雅楽は眠そうな音楽? とんでもない。
これは、時間を超えてあなたの心を震わせにくる音楽です。



